善意というのは、それ自体でえられるもので、なにかの手段ではない。たとえば「功徳を積めば救われる」は本来の善意ではない。「たとえ不幸のどん底になろうとも、善意はゆるぎない」が、真実の善意だろう。人は善意に応じて幸を得る。
旅の目的は修行であり、その究極は善意である。精神修養による無条件の善意の習得が旅の目的である。
恵まれた他人に嫉妬するな。恵まれた他人は尊い。尊い人をとうとべ。神は功徳に恵む。恵まれている人は先祖の功徳によって地位が向上したにすぎない。悪は自分に最も有害な習慣である。無償の善行は、「自分が救われることを信じられる」という、功徳の信念のゆえにおこなわれる。自分を救うのは自分だ。