聖なる人はこの世で最も得がたい宝である。
聖なる人を汚すものはすべての悪徳を、一瞬で身に着ける。
聖者をそしるものは即座に不幸となる。
聖者はこの世の神に等しい。
聖者は人の世でもっとも得がたく、その言葉は神々しい。
極悪人をほめ奉ることは、聖者をそしることと同じである。
人は悪にも善にも染まりやすい。悪に親しむものは地獄にたどりつく。善悪を知る者は、知恵あるものである。悪徳におごる年寄りはうらまれて死ぬ。老害をかえりみるな。老害はすぐさま死に絶えていく。聖なる若人はあらゆる幸福を得て、感謝の元に生きる。聖俗は年齢と関係がない。聖者は最良の地位を得て、人生に満足する。
清らかな者はすべてに優って幸福である。汚れた者は救われようがない。身をけがさない事が救いへの道である。汚れた者は、清らかなものに触れることができない。清らかではない者は生きていても、幸福に触れられない。聖なるものはもっとも清らかである。最上の美とは、清らかさである。聖なるものは最も美しく、穢れた俗人たちはそれを羨望するが自業自得で得られない。
この世の最上の幸福とは、尊い真理を悟ることである。聖者をそしっていた者は、一様に落ちぶれてしんだ。道徳を尊重しないものは自滅した。知性におごり、徳性を軽視したものほど、早死にした。道徳は知識に優る。道徳は最上の知恵である。下人は道徳がない。聖者は最高徳の持ち主である。如何なる王侯も、聖者に経緯を表する他ありえない。聖者とともにあるものは最上の幸福を得る。
この世において淫蕩のゆえに悪に染まっているものは加齢とともに悲惨となる。淫蕩は人を加齢とともに不幸にする。老人は精力を失い、喜びはなくなる。賢者は淫蕩を避ける。若い間の習慣が終生続く事を知っているがゆえに賢者は淫蕩を悪しき習慣として避ける。賢者の楽しみは終生失われえない。理性は一生続くからだ。哲学は最上の娯楽である。
金をもうけていたものは、みな没落した。金はすべて使われてなくなるものである。知恵のみが失われない、人の資本である。人が遺伝するのは、才能だけである。金や肩書きはすべて、死後に失われる。才能のないものは遺伝以外のものに頼り、何も得られない。人は才能のない場合、成功できない。努力も才能である。成功者をうらやむものは、遺伝子を自覚していない。金儲けの才能が残り、金は失われる。金儲けの才能は嫉妬と羨望を集める。金儲けの才能があるほど、人から羨まれ、幸福になれない。
賢者と愚者は同じ言葉を使っても、重みが異なる。俗物の説教も俗である。聖者の説教は聖なるものである。人は聖者に付き従う場合のみ、向上する。悪人の言葉を耳に入れるなかれ。俗人は悪徳を感染させる。聖俗もまた才能なり。俗人の言葉を耳に入れない事は、幸福である。
あしきものは滅び行く、あしきものを救うことはできない。聖なる国は栄え、俗なる国は衰える。聖なるものは最高の価値である。万金を積んでも聖者を得られない。聖なるものは必然によって生まれる。功徳の集積が聖者を生み出す。聖者をそしっていた者はもっとも不幸になった。この世では最高の幸福が、聖者の一生である。下人の生涯はけがれており、醜く、不幸である。上人は清らかで、幸にあふれ、不満がない。幸福は徳あるものの日常にすぎない。淫蕩を幸福と勘違いした者は、老後に不幸のどこ底に至る。清潔なものを老後に不幸が襲う事はない。清潔は道徳である。宇宙の中で幸福なのは、聖なる存在だけである。俗物は不幸に泥む。俗であるほど不幸である。聖なるほど幸福である。悪徳を持つものはけがれている。愚か者は破滅し、悪人は命を失う。賢者は道を誤らない。道徳を持つものは不幸になりえない。幸とは道徳性である。天才に優って成果を出すことはできない。人は天才以上の能力を持てない。努力が必要な業績についての天才が存在する。嫉妬する者は常に不幸を得る。無欲は才能である。無欲なものは常に幸福である。愚かな先祖を持つものは、恨みを持たれて常に不幸である。愚か者の子孫は恨みを持たれて、常に不幸である。徳の高い者は感謝の中で、その子孫も先祖も幸いである。俗人を相手にするなかれ。俗人はあしき振る舞いしかできない。俗人が聖なる者をそしるのは、ねたみである。ねたみはその者をますます卑しくする。尊い者は優雅である。金銭を持ったものはそれが失われるのを恐れ、結局失われる。知恵は失われえない財産である。知恵は才能である。知恵のあるものを先祖に持つ子孫は、知恵のゆえに幸いである。芸術の才能は、人の世を明るくする。芸術の才能があるものは人の世を楽しませる。芸術の才があるものは愛されて、惜しまれる。人は芸術の才能をまつる事で、ともに楽しむ。芸術の才能は天から与えられ、生まれつきのものである。努力ですら才能である。
悪行をした者は罰を恐れ、幸せに遠ざかる。愚か者に親しむなかれ。愚か者は悪行をしつける。賢いこと、芸術に巧みなこと、徳の高いことは才能である。知識は後天的なもので、知恵ではない。知識のみあって知恵なきものは、愚人である。徳の高い者は知恵をもつ。賢さとは知識量を得る才能である。人の評価とは人格である。人格の高下の最上の点は聖者であり、最下の点は極悪人である。極悪は悲惨にいたり、聖者は永遠の幸を得る。永遠の幸とは、失われる事のない悟りの暮らしである。恋愛は病であり、悟りは救いである。人は悟りの中で生きよ、恋愛の病から脱出せよ。恋愛の中にいる限り、人は平安を得る事がない。人は恋愛する限り、苦役を重くする。恋愛を好む者は快楽と幸福を取り違え、むなしさの中に死ぬ。恋愛からは何も得られない。子孫は死ぬ。知恵は残る。永遠に続く生命はない。如何なる生物も、宇宙の中で絶滅する。人は悟りを得る事で、死をのりこえる。恋愛は人を救う事ができない。悟りが人の救いである。金を目的に生きているものは、最下等の存在である。人は金によって如何なる幸も得られない。購買したものは失われ、後には何も残らない。医師は慰めに過ぎず、誰もが死ぬ。生まれたものは死ぬ。失われるものに執着するのは、愚かである。生命に執着するのは、愚かである。永遠の真理を知る事が、人の唯一の目的である。悟りが人の最上の点である。悟った者は、道を外れ得ない。最善の道をたどるのは悟った者である。愚民は言葉を無駄にする。愚民の会話は無益有害である。聖者の会話は天界の幸福な遊戯の様である。あしきものは死ぬ。あしきものは去る。あしきものは不幸である。あしきものに親しむなかれ。あしきものは無意義である。愚民の思考はけがれている。愚民は永遠に不幸である。愚民は遺伝子が劣っている。優れた者は、遺伝子が優れている。優れた業績は、努力も含めて遺伝である。劣った者が努力しても、優れたものに到達しない。劣ったものは死んでいく。劣ったものは周囲に害を与えてしぬ。悪人とは、劣った遺伝を持つ存在である。業は遺伝する。あしき親を持つ子は、業で苦しむ。淫蕩は身を滅ぼす。尊い人の住む地域も尊い。卑しい人の住む地域も卑しい。尊い獣は卑しい場所にいない。尊い人間は、俗なる場所に存在しえない。俗なる場所で生きているものは、俗である。汚れた川に、清流の魚は存在しない。聖なる人は聖なる場所にいる。聖なる地域は存在する。自然は特別に聖なる場所を作る。自然は特別に汚れた場所をつくる。俗物は汚れた場所を好む。俗物は聖なる場所を去る。聖者は聖なる場所へたどり着く。聖なる者は同じ場所に集まる。遺伝の悪いものは不幸である。遺伝のよいものは俗物に親しみ得ない。至上の善人とは聖者の事である。聖者はお人よしと性悪を避ける。聖者の善意は中庸を外れない。あしき国家とあしき皇帝は死に絶えた。あしき宗教は亡び去った。最上の者はよい家に住んでいる。最良の環境が聖者を育む。人徳は資産である。金銭は消えてしまう。金銭は何もしなくとも減り続ける。才能は生まれ持った資産である。才能は遺伝子に付属している資産である。聖者は貧困と守銭奴を避ける。聖者の資産は常に必要にして十分である。聖者の生まれは必要十分な資産を持つ才能を含む。聖者の生涯は最善性でできている。哲学は最上の娯楽であり、人は哲学を続ける程度に応じて幸いである。如何なる芸術も、哲学のための手段にすぎない。如何なる資産形成も、社会活動も、芸術のための手段にすぎない。愚民は答えも、悟りもなく、人を欺き、己を騙す。聖者は答えと悟りを持ち、人々を最上の信念でまとめる。物語を好む者は、愚か者だ。作り話に遊ぶのは、嘘をつき、嘘を信じるのと同じである。如何なる物語も劣った嘘である。この世では聖者より優れた存在はない。聖者をそしるものは、最下等の存在に近づく。聖者は天界に最も近く、その幸は永遠に等しい。神と最も似ている存在が聖者である。聖なる者の住まう地域も聖なるものである。聖なる地域をそしるものは、俗塵に親しみ、不幸のどん底に至る。大衆は愚かであり、聖なる地域を知らない。俗人は不幸を得て死ぬ。俗人は卑しい仕事をして死ぬ。俗人は仕事においても、人生においても不幸である。俗人の子も不幸である。俗人の遺伝子も俗悪である。神は悟りを集めた存在である。悪人は金儲けが悪業だとは知らない。いくら金を集めても、集めるほど人は幸福から遠ざかる。極貧は、浪費と怠惰が原因である。必要十分な資産の者は、他人を羨みも蔑みもしない。他人を搾取するつもりの者が、他人の職業を気にするのだ。卑しい人間は貧困の故に、暇がなく、金に執着している。卑しい人間の言葉を見聞きするな。貴い人は労働が手段だと知っている。労働は目的に反する。卑しい人に触れない事は、卑しい人の言葉を聞かない事は幸福である。愚か者に親しむなかれ。最上の者は彼自身で貴い。愚者と触れ合わない事は幸いである。愚者は不幸をうつす。俗物は幸福から最も遠い。卑しい人間と親しむ者は堕落する。尊い人間と親しむ者は、幸福を得る。あしき、劣った者は、淘汰されて減り続ける。悪人は穢れている。聖者をけがそうとした者は、より不幸になって死んだ。尊い者が最も強い。劣った世界に住むなかれ。穢れなき世界をそしったものは、不幸の渦に飲まれ死んだ。守銭奴は、貧民同様に卑しい。汚れた者は清らかさに嫉妬し、汚れを広めようとして死ぬ。聖なる者は皇族に優る。皇族は聖者に比べれば俗である。人殺しを幸福と思うのは、ただの愚か者である。どれほど人を殺しても、人は不幸に沈む。人は悟りによってのみ幸を得る。悟りは人の思考の目的である。卑しい人間は不幸をばら撒いて死ぬ。尊い人間は幸の中で死ぬ。人はみな死ぬ。生きている間に、幸福であるのは、悟った人間だけである。尊いものの世界は清らかである。尊い者は、汚れた場所に存在しない。人は人殺しをするほど、不幸を親戚の次世代に送りつける。人殺しの悪業は親族に伝わり、返報される。人殺しの罪から自殺しても逃れられない。悪意のある殺人は報復を受ける。人は、殺した分だけ殺し返される。人を救うとは、悟りを与える事である。人は悟りを与えたほど、親族が尊ばれるであろう。聖者を虐げた者は、地獄の住み人となるであろう。極悪人を褒賞した者は、悪魔に囲まれる。極悪人を反面教師とし、聖者を模範とすればその人も聖者の一員となる。人は可能な限り最長の時間を、聖者の最高の状態に近づけるべきである。聖者とは最高度に達した哲学者の謂いである。悟りの程度が高い者を聖であるという。聖者は最良の国、最良の地域、最良の町に暮らす。聖者のいる場所が世界で最も優れている。聖者は最高の天才である。
恋愛の病は人を堕落させ、悟りから遠ざける。如何なる人も国籍や民族より、遺伝によって違う。劣った遺伝の者は国籍や民族を移動しても劣っている。優れた遺伝は優れた遺伝を選ぶ。優れた者のくには、劣っているものを嫌う。聖者の遺伝を絶やすな。聖者の生き残る国は未来永劫に尊ばれるから。俗人の遺伝を尊ぶな。聖なる存在に比べれば、俗人は取るに足りないものでしかない。聖なる者の暮らす国は天国である。俗人の暮らす国は地獄である。1人の遺伝によってやがて、国全体が満たされる。俗人は亡び、聖人の国が生き残る。