2014年9月30日
2014年9月29日
2014年9月28日
芸術道徳論
最大多数の人にとって利益がある行動を道徳という。よい、とは道徳の事であり、太古の智恵つまり経験則へ新知識による分析が加えられていく。
芸術における道徳とは自然本性の一部なので、利他性の大きな本性ほど優れた天才という事ができる。よい芸術は人間に善性を広め、道徳を強化し、更には全宗教の中の道徳貢献の一部ですらある。
腐敗した政府が芸術におけるある道徳傾向を弾圧する時その政府は芸術の創造性を害し、逆に健全な政府が芸術の中のある道徳傾向を奨励する時その政府は芸術の奨励者として優れた誉れを遺す。
芸術における道徳とは自然本性の一部なので、利他性の大きな本性ほど優れた天才という事ができる。よい芸術は人間に善性を広め、道徳を強化し、更には全宗教の中の道徳貢献の一部ですらある。
腐敗した政府が芸術におけるある道徳傾向を弾圧する時その政府は芸術の創造性を害し、逆に健全な政府が芸術の中のある道徳傾向を奨励する時その政府は芸術の奨励者として優れた誉れを遺す。
2014年9月27日
現世
音は消えて
我らは海の藻屑と消える
ひびの入った関係性
なくなってしまう前に
私達の正面に見える草野原
夢際のはてなき田園
今も昔もすぎさり
我らは土のさなかに還る
おそれる事もなく
自然にのみこまれていく
偉大な理想や高尚な芸術でも
とどまる由なく
歴史の一部として忘れ去られ
我らは再び世に帰り来る
我らは海の藻屑と消える
ひびの入った関係性
なくなってしまう前に
私達の正面に見える草野原
夢際のはてなき田園
今も昔もすぎさり
我らは土のさなかに還る
おそれる事もなく
自然にのみこまれていく
偉大な理想や高尚な芸術でも
とどまる由なく
歴史の一部として忘れ去られ
我らは再び世に帰り来る
来世
僕には何もない
だがあなた方に何があるというのか
世界には何もない
もし大宇宙の隅まで探検しても
実に美しい夕焼けとか
磯原海岸の漣とか
或いは仏教の真理とか
新陳代謝がおわるときまで
僕らを追いたてる最大の悲しみとか
死の図像にしがみついた影
何も残らない
永久へ向かう王朝などどこにもない
夢を見る事もなく眠りについて
起きた時君は来世に着いている
だがあなた方に何があるというのか
世界には何もない
もし大宇宙の隅まで探検しても
実に美しい夕焼けとか
磯原海岸の漣とか
或いは仏教の真理とか
新陳代謝がおわるときまで
僕らを追いたてる最大の悲しみとか
死の図像にしがみついた影
何も残らない
永久へ向かう王朝などどこにもない
夢を見る事もなく眠りについて
起きた時君は来世に着いている
2014年9月26日
2014年9月25日
仏の浜
海も山も川も消えて
残るのは仏の浜
寂しさや命の規則も
聞き取れない
僕は美しいものを求め
結局失われる技に努力していた
さも仏教を忘れたかの様に
ないものは見いだせず
生まれき死に行く訳さえも
はじめからないものを作り出そうと
自然の中でもがいていたのだ
あるものは失われ
我らは再び無に返る
都市も文明も芸術も記憶さえも
残るのは仏の浜
寂しさや命の規則も
聞き取れない
僕は美しいものを求め
結局失われる技に努力していた
さも仏教を忘れたかの様に
ないものは見いだせず
生まれき死に行く訳さえも
はじめからないものを作り出そうと
自然の中でもがいていたのだ
あるものは失われ
我らは再び無に返る
都市も文明も芸術も記憶さえも
死
僕らが生まれてきたわけも
仏道に語り尽くされている
宇宙の始まりや終わりなんて
言葉の戯れ
停止した時間の奥底で
僕は悲劇を感受しているのだから
よく考え抜かれた計算手法だとか
愛すべきものはなくなって
ただ果てしない現実が来た
まだ悲しみに打ち震え
夜に居ることを悔いているとしても
僕らを救済する死は必ずやってくる
あらゆる痛みや苦しみを
洗い流して無に返す偉大な死が
仏道に語り尽くされている
宇宙の始まりや終わりなんて
言葉の戯れ
停止した時間の奥底で
僕は悲劇を感受しているのだから
よく考え抜かれた計算手法だとか
愛すべきものはなくなって
ただ果てしない現実が来た
まだ悲しみに打ち震え
夜に居ることを悔いているとしても
僕らを救済する死は必ずやってくる
あらゆる痛みや苦しみを
洗い流して無に返す偉大な死が
2014年9月22日
2014年9月21日
2014年9月19日
2014年9月18日
南蛮
罪がない瞬間に
お前は死を得た
悪魔は金を手に嘲笑い
お前は死を見た
人殺しは大衆に紛れ
衆愚を演じながら自殺していく
極悪の関西天皇はにやつきながら
東京浮浪者から搾取中に侵略犯罪した
長野のどいなか悪魔達が君を侮辱し
平気な顔で偉人と聖者を中傷し続ける
皆殺しにされた広島の裏切り者が
静岡と神奈川で悪業を誇り続ける
ごみの様な南蛮
人殺しと悪の集合
お前は死を得た
悪魔は金を手に嘲笑い
お前は死を見た
人殺しは大衆に紛れ
衆愚を演じながら自殺していく
極悪の関西天皇はにやつきながら
東京浮浪者から搾取中に侵略犯罪した
長野のどいなか悪魔達が君を侮辱し
平気な顔で偉人と聖者を中傷し続ける
皆殺しにされた広島の裏切り者が
静岡と神奈川で悪業を誇り続ける
ごみの様な南蛮
人殺しと悪の集合
自然
人が死ぬ時まで
万物は変わり続ける
丸で宇宙が作り上げた偶然
丸で世界旅行を通り抜けた目まい
私の両手には花束があって
あなたは夜の奥に寝ている
丸で私達の原因でさえ奇跡
丸で緑が風に揺れている瞬間
開かれた青空
食べられた虫
与える為の一瞬なら
神が用意したみたいに
丸で磯原の海岸に打つ漣の音色
丸で何もかも働きが準備したかの様に
万物は変わり続ける
丸で宇宙が作り上げた偶然
丸で世界旅行を通り抜けた目まい
私の両手には花束があって
あなたは夜の奥に寝ている
丸で私達の原因でさえ奇跡
丸で緑が風に揺れている瞬間
開かれた青空
食べられた虫
与える為の一瞬なら
神が用意したみたいに
丸で磯原の海岸に打つ漣の音色
丸で何もかも働きが準備したかの様に
2014年9月17日
浪士
森羅万象が嘘であれ
緑が繁茂して覆う地上も
現象という現象は奇跡で
愛や慈悲も
大体だから言ったのに
我らの目的は一つ
尊王攘夷の果てに
天皇さえ外来の蛮族だ
人混みに紛れて魔を葬る
極刑のみの正義
闇の刺客が何もかもを清浄に
全てを塗り替える
帝さえ奈良出の蛮族
悪を誅する正義はここだ
緑が繁茂して覆う地上も
現象という現象は奇跡で
愛や慈悲も
大体だから言ったのに
我らの目的は一つ
尊王攘夷の果てに
天皇さえ外来の蛮族だ
人混みに紛れて魔を葬る
極刑のみの正義
闇の刺客が何もかもを清浄に
全てを塗り替える
帝さえ奈良出の蛮族
悪を誅する正義はここだ
2014年9月16日
2014年9月15日
指輪
地上が始まってから終わりまで
私達はここにいた
あなたが信じているどんな困難も
くぐり抜けた洞窟の様に
なくしてしまった指輪
移ろいながら変わり行く町に
宇宙は静まり返り
私達を見直すだろう
全人類が気づかなかった
なくしてしまった指輪
もしあなたが何かを信じているなら
生まれてから死ぬまでの間
蹲った海岸の砂浜に
漣は打ち寄せつつ
私達を包み込むだろう
物事は元通りにならず
愚か者と賢き者を共に引き連れていく
誰だって気づく筈の
なくしてしまった指輪
世界中を探してみても
きっとまた一つとないもの
私達はここにいた
あなたが信じているどんな困難も
くぐり抜けた洞窟の様に
なくしてしまった指輪
移ろいながら変わり行く町に
宇宙は静まり返り
私達を見直すだろう
全人類が気づかなかった
なくしてしまった指輪
もしあなたが何かを信じているなら
生まれてから死ぬまでの間
蹲った海岸の砂浜に
漣は打ち寄せつつ
私達を包み込むだろう
物事は元通りにならず
愚か者と賢き者を共に引き連れていく
誰だって気づく筈の
なくしてしまった指輪
世界中を探してみても
きっとまた一つとないもの
2014年9月14日
2014年9月12日
2014年9月11日
最後の将軍
僕らの間には一枚の壁があって
それは永遠に破れない筈かもしれない
さも万物は僕らの目の前にあるガラスとして
宇宙空間の触れ合いを妨げたかもしれない
全部を信じて忘れる
そう世界は夢の出来事だから
現実に生きろと言われて利用された
我々の目に映る偉大で立派な月が寝ている
運命のどこにも重なった闇があって
それは一瞬で命をも奪い去っていくだろう
さも歴史が私達の心の鼓動であったかの様に
神を愛して忘れ
そう浮き世は不完全な経験だから
さも私達の訳が慈悲であったかの様に
それは永遠に破れない筈かもしれない
さも万物は僕らの目の前にあるガラスとして
宇宙空間の触れ合いを妨げたかもしれない
全部を信じて忘れる
そう世界は夢の出来事だから
現実に生きろと言われて利用された
我々の目に映る偉大で立派な月が寝ている
運命のどこにも重なった闇があって
それは一瞬で命をも奪い去っていくだろう
さも歴史が私達の心の鼓動であったかの様に
神を愛して忘れ
そう浮き世は不完全な経験だから
さも私達の訳が慈悲であったかの様に
2014年9月10日
2014年9月9日
2014年9月8日
花束
あなたは奇跡として
奇跡として地上に来た
何も信じられなかった僕の前に
ただ奇跡として
宇宙全体を敵にしても
あなたはただ美しい
地上はどこ迄も広がり
僕の足を絡めとる
宇宙全体を敵にしても
あなたは一人美しい
僕の足は動かず
朽ちていく
神よ我らの上に
数えきれない花束を
奇跡として地上に来た
何も信じられなかった僕の前に
ただ奇跡として
宇宙全体を敵にしても
あなたはただ美しい
地上はどこ迄も広がり
僕の足を絡めとる
宇宙全体を敵にしても
あなたは一人美しい
僕の足は動かず
朽ちていく
神よ我らの上に
数えきれない花束を
2014年9月5日
美術論
或る労働者達は、或いは投資屋を含む或る商人達は、何かを創作したり何か創造的な営みを理解しようとしない。彼らは生産もしくは輸送取引、清掃迄のどこかに関わっていながらそうだ。芸術はこれらの労働者性とは異なる仕業、と述べるのは正しい。芸術家が何かを創作するのは単に消費を前提にした製造ではない。古代常陸の洞窟壁画は身分のよい家の印として機能した。上等な家柄は支配権を示し、芸術が美化しているものはこの誇示にまつわる環境抵抗なのだ。
今日の生産物は、どれも失われ貝塚や埋め立て場、最終処分場に葬られる。我々がそれらを消費的なだけそうなのだから、芸術性が消費の外にある事は間違い様のない現実である。保存され展示され、美術館を経て博物館へ収蔵された物は、同時代に消費できない性質を持っていた。
今日の生産物は、どれも失われ貝塚や埋め立て場、最終処分場に葬られる。我々がそれらを消費的なだけそうなのだから、芸術性が消費の外にある事は間違い様のない現実である。保存され展示され、美術館を経て博物館へ収蔵された物は、同時代に消費できない性質を持っていた。
おもい
僕がどれ程努力してみても
地上は僕がいたことさえ忘れるかもしれない
うたに紡げるどんなおもいもぱらぱらと
金米糖のよう
あなたは誰より美しい
確かにその通りだったとして
うたに紡げるどんなおもいもばらばらと
海に降る長雨と裂けてしまう
恐ろしい思い出は忘れ
ひたすら夜空のもとに花を浮かべて
僕がどれ程絶望していても
宇宙はそんな事に気づかず展開していく
うたに紡げるどんなおもいもさらさらと
小川に流した笹舟
地上は僕がいたことさえ忘れるかもしれない
うたに紡げるどんなおもいもぱらぱらと
金米糖のよう
あなたは誰より美しい
確かにその通りだったとして
うたに紡げるどんなおもいもばらばらと
海に降る長雨と裂けてしまう
恐ろしい思い出は忘れ
ひたすら夜空のもとに花を浮かべて
僕がどれ程絶望していても
宇宙はそんな事に気づかず展開していく
うたに紡げるどんなおもいもさらさらと
小川に流した笹舟
2014年9月3日
経済学
資本主義は労働者主義ですらない。資本主義とは、資本家主義言い換えれば金持ち主義である。労働者達を正当化する思想である筈の社会主義だが、労働者達は資本主義の政党を支持している事もある。
資産があるゆえに労働から免れた人たちが自由である。労働の切迫した必要がある人々は資産形成能力に劣っていた。劣った人達が優れた人達を誹謗したところで何の意味もない。辛い労働に勤しむ人たちは自分達の劣った資産形成能力を呪うならまだしも、優れた資産形成能力の人達を謗るべきではない。
資産のない階級を無産階級、それがある階級を有産階級と呼ぶ。無産階級の人が、労働主義を盛んに主張している場合、それは彼らが自らと同じ無産階級を相手に論じていると思い込んでいるからである。有産階級へ、労働を幾ら主張してみた所で、労働を脱する為に資産を形成して来たのが有産階級なのだから本末転倒という他ない。寧ろ、投資的な営為もしくは資産を別の文化資産に変換する事、これが有産階級の生業なのである。より持続性の高い形態へ有形資産を変えていく事だけでも十分な人類史上の功績に値する、と無産階級者も理解するべきである。金持ちがある美術品を買いそれを保持する事だけでも人類史上に多大な貢献をする。有産階級の挙動は、無産階級のそれとは根本的に原理が異なるものだから、前者で後者を語り得ず、また後者をそのまま前者の論理に適用も為し得ない。無産階級者たちは、教育程度が低い場合も多い。なぜなら、彼らに教育資源が不足していたからだ。従って、無産階級側が有産階級側に迷惑をかける、即ち無産階級の原理で有産階級側を誹謗する、といった場面に於ける摩擦が問題となる。無産階級は次の事を理解せねばならない、それは、無産階級のその野卑な振る舞いこそが彼らにしてみたら常識なのだとして、有産階級側からの差別感をあおる原因となっている事実だ。こういう訳で世界中で、下層階級というものが軽蔑の的になってしまう。無教育的である自分達の立場をどう自覚させるか、これは深刻な矛盾を含んだ命題だがなさねばならない、今後の課題といえよう。教育資産が枯渇し続けている現状では将来にわたっても無産階級側の有産階級側との生活にまつわる原理の違いは自覚されずじまいになりかねない。我々の直面している、二極化、格差社会の現実とはその様なものなのである。いうまでもない事かもしれないが、有産階級側の正義と無産階級側のそれとは今後ますます異なり続けて両者はわかりあう機会がますます減っていくだろう。
有産階級側にとって、自由を乱されない事、それがもっとも重要な生活感覚になるが、無産階級側は干渉的で、労働信仰を持っており、且つ他者も自分達と同じほど卑しく無教養にならねばならない、と思い込んでいる。無産階級側を有産的にするそういう開発法が発見されない限りに於いて何らかの便宜的方法で無産階級側からの阻害行動を規制する他ないだろう。自由権の拡大といえば端的に分り易いかもしれない。労働者達、東京の様な物価高の街において彼らは益々無産的にされていく。無産階級側は資産形成能力に於いて劣った人達の集まりなので自由主義の適者生存原理に於いては益々少数化していく事が想定される。いいかえれば、労働を信じる集団は今後益々減り続け、やがては機械にとってかわられるであろう。近い将来の事だろうが、生活とは自由になるべきだ、という事が自由主義者たちの共通信条であるからには労働という奴隷的使役に従事し、また従事させたがる人々は自由主義社会に於いては、多数派になる事は永遠にできない。よって、労働使役を強制するのは自由主義社会の是でもないし、それどころか、自由主義の発展にとって最大の害であるという程に、労働主義というものは社会の必然的自由に致命的危機をもたらす言説ですらあるのだ。労働を是としたり、労働を強制したり、或いは労働を尊んだりする事さえも自由主義社会では非とされねばならない。自由主義者達の最大の信条は、「もっと自由になれ」「社会における自由よもっと拡大せよ」という訳で労働市場の価格競争によって、今後益々労働従事者たちが削減されるか、或いはもっと合理的な機械的設備に代替されていくかはたまた、移民などのより安価な労働力に代償されることが望ましいのである。価格競争によって労働従事者が削減される、という言い方はより詳細にいえば、労働者達の中でも効率の高い者やそういった働き方が選択され、多数の人たちが労働せずとも今まで以上の経済効果が得られる事を意味している。
自由主義とは、自由を尊ぶことだから労働の強制、あるいは労働の推奨さえまったく望ましくない。各人の自由意志に基づいて行動する事を推奨するべき社会が自由主義的なのだ。もし、一切の労働をしない者がいたとして彼らが有産か無産かに関らずそうである。さらにいえばそこで当然なのは、社会における内的合意としての自由の推奨なのである。前述の一切の無産階級者たちにさえ理解をさせねばならない事とは、この自由の推奨なのだ。却って、生産効率が悪いとか労働能力が低い者がいたらその人は、どちらかといえば市場参加しない方が全体の経済効率をあげる、という事ができる。同等の効率で、より安価に労働可能な移民であるとか機械であるとか、代替的な手段で同効率を達成するのがより合理的な判定となるであろうからだ。自由とは各人の適性をそのまま、彼等の社会的地位で果たさせるものなのである。単なる労働市場に於ける労働力取引についてさえ、その様な効率的な選択が行われえるのだから他一切の商品、サービスについても同様なのである。最も複雑な人の労働力取引が自由によって最も効率的な配分をされる。他のより単純な商業行為すべてについて同様であるからには自由主義とは、最も経済効率を高めやすいそういった体制の考え方という事ができる。
労働力とは世界において最も複雑な商材の形態の一つだからその配分形式を考え直すことは、即ち富の配分についての最高度の分析に等しい。
資産があるゆえに労働から免れた人たちが自由である。労働の切迫した必要がある人々は資産形成能力に劣っていた。劣った人達が優れた人達を誹謗したところで何の意味もない。辛い労働に勤しむ人たちは自分達の劣った資産形成能力を呪うならまだしも、優れた資産形成能力の人達を謗るべきではない。
資産のない階級を無産階級、それがある階級を有産階級と呼ぶ。無産階級の人が、労働主義を盛んに主張している場合、それは彼らが自らと同じ無産階級を相手に論じていると思い込んでいるからである。有産階級へ、労働を幾ら主張してみた所で、労働を脱する為に資産を形成して来たのが有産階級なのだから本末転倒という他ない。寧ろ、投資的な営為もしくは資産を別の文化資産に変換する事、これが有産階級の生業なのである。より持続性の高い形態へ有形資産を変えていく事だけでも十分な人類史上の功績に値する、と無産階級者も理解するべきである。金持ちがある美術品を買いそれを保持する事だけでも人類史上に多大な貢献をする。有産階級の挙動は、無産階級のそれとは根本的に原理が異なるものだから、前者で後者を語り得ず、また後者をそのまま前者の論理に適用も為し得ない。無産階級者たちは、教育程度が低い場合も多い。なぜなら、彼らに教育資源が不足していたからだ。従って、無産階級側が有産階級側に迷惑をかける、即ち無産階級の原理で有産階級側を誹謗する、といった場面に於ける摩擦が問題となる。無産階級は次の事を理解せねばならない、それは、無産階級のその野卑な振る舞いこそが彼らにしてみたら常識なのだとして、有産階級側からの差別感をあおる原因となっている事実だ。こういう訳で世界中で、下層階級というものが軽蔑の的になってしまう。無教育的である自分達の立場をどう自覚させるか、これは深刻な矛盾を含んだ命題だがなさねばならない、今後の課題といえよう。教育資産が枯渇し続けている現状では将来にわたっても無産階級側の有産階級側との生活にまつわる原理の違いは自覚されずじまいになりかねない。我々の直面している、二極化、格差社会の現実とはその様なものなのである。いうまでもない事かもしれないが、有産階級側の正義と無産階級側のそれとは今後ますます異なり続けて両者はわかりあう機会がますます減っていくだろう。
有産階級側にとって、自由を乱されない事、それがもっとも重要な生活感覚になるが、無産階級側は干渉的で、労働信仰を持っており、且つ他者も自分達と同じほど卑しく無教養にならねばならない、と思い込んでいる。無産階級側を有産的にするそういう開発法が発見されない限りに於いて何らかの便宜的方法で無産階級側からの阻害行動を規制する他ないだろう。自由権の拡大といえば端的に分り易いかもしれない。労働者達、東京の様な物価高の街において彼らは益々無産的にされていく。無産階級側は資産形成能力に於いて劣った人達の集まりなので自由主義の適者生存原理に於いては益々少数化していく事が想定される。いいかえれば、労働を信じる集団は今後益々減り続け、やがては機械にとってかわられるであろう。近い将来の事だろうが、生活とは自由になるべきだ、という事が自由主義者たちの共通信条であるからには労働という奴隷的使役に従事し、また従事させたがる人々は自由主義社会に於いては、多数派になる事は永遠にできない。よって、労働使役を強制するのは自由主義社会の是でもないし、それどころか、自由主義の発展にとって最大の害であるという程に、労働主義というものは社会の必然的自由に致命的危機をもたらす言説ですらあるのだ。労働を是としたり、労働を強制したり、或いは労働を尊んだりする事さえも自由主義社会では非とされねばならない。自由主義者達の最大の信条は、「もっと自由になれ」「社会における自由よもっと拡大せよ」という訳で労働市場の価格競争によって、今後益々労働従事者たちが削減されるか、或いはもっと合理的な機械的設備に代替されていくかはたまた、移民などのより安価な労働力に代償されることが望ましいのである。価格競争によって労働従事者が削減される、という言い方はより詳細にいえば、労働者達の中でも効率の高い者やそういった働き方が選択され、多数の人たちが労働せずとも今まで以上の経済効果が得られる事を意味している。
自由主義とは、自由を尊ぶことだから労働の強制、あるいは労働の推奨さえまったく望ましくない。各人の自由意志に基づいて行動する事を推奨するべき社会が自由主義的なのだ。もし、一切の労働をしない者がいたとして彼らが有産か無産かに関らずそうである。さらにいえばそこで当然なのは、社会における内的合意としての自由の推奨なのである。前述の一切の無産階級者たちにさえ理解をさせねばならない事とは、この自由の推奨なのだ。却って、生産効率が悪いとか労働能力が低い者がいたらその人は、どちらかといえば市場参加しない方が全体の経済効率をあげる、という事ができる。同等の効率で、より安価に労働可能な移民であるとか機械であるとか、代替的な手段で同効率を達成するのがより合理的な判定となるであろうからだ。自由とは各人の適性をそのまま、彼等の社会的地位で果たさせるものなのである。単なる労働市場に於ける労働力取引についてさえ、その様な効率的な選択が行われえるのだから他一切の商品、サービスについても同様なのである。最も複雑な人の労働力取引が自由によって最も効率的な配分をされる。他のより単純な商業行為すべてについて同様であるからには自由主義とは、最も経済効率を高めやすいそういった体制の考え方という事ができる。
労働力とは世界において最も複雑な商材の形態の一つだからその配分形式を考え直すことは、即ち富の配分についての最高度の分析に等しい。