業の理解を徳という。
徳の個別集合を思想といい、共通集合を道徳もしくは徳性という。多文化主義は前者の集合を後者の集合の部分集合として認識するものである。
徳の普遍性もしくは趣味の共感覚は、思想の前提となるある絶対的徳性を要求する思い込みによっている。この思い込みは道徳を普遍的に見ようとするが、実際にはその様な体系は文化間の徳性の一致としてしかみいだされないので、その他の実践領分に関する限り限定的なものである。つまり、徳の普遍性は共同性に由来し、理解の体系が偶然か必然かにより共通して認識したある社会命題への善悪判断によっている。この共同性は社会間の共同度として説明することができ、いわば社会的類似である。
ある場合、この絶対的徳性を正義と呼ぶ。正義感は普遍に要求される共感覚の一つであり、そのものは信念の一種である。正義感は社会間の共同度に準じて伝達される中で徐々に確立されてゆき、共有された信念となることがある。それがイデオロギーもしくは考え方と呼ばれる働きであった。