芸術の享受は多少あれ娯楽に代替しうるが、芸術そのものは娯楽に相反する。
芸術が道徳理念からの判定としての趣味判断に従う遊びな限り、それが娯楽の享受に留まることは永久にないだろう。いわば趣味がある個人の芸術も、多かれ少なかれその審美的享受としての娯楽をも規定する。
所で、ある人々の芸術が必ず即時に娯楽になる訳ではなく、大抵は能動的な仕事より簡単な遊びを受動的に享受して自身の活動全体に変化をつけ、気晴らしにするのが近代文化では普通らしい。あらゆる仕事が芸術の方法ならば、我々に職業や嗜みを斉す物は趣味。