2007年7月13日

航空的文明論

批判体系は説明の過不足なさにより樹立される。
 ならば、それは標語の様なものであれ、又格言や、極度に抽象的なら概念自体でも構わない。過去において優れた哲人ほどに理念の抽出に努めた。そしてそれらの成果は後生の日常に浸透した。我々がideaとか大丈夫とか、loveとか慈悲とか言うなら、それらは既に聖人の徳をcriticalに摂取したに等しいと考えられる。なぜなら度合いあれ理解されざる概念は使用すらできない。
 政経中道説と、学術的航海の喩え、つまり三元論批判は少なくとも現代道徳の根幹を為すべき体系的整理だろう。ここに伝承の為の蒸留昇華を加えるのは哲学の方針と云える。私は航空の喩えを提出する。
 文明論に是非とも必須なのは、左右両翼の平衡を保った飛行と、コンパス・地図・舵とによる航海。当座の知性である地図は精度を増す為に改良を加えうる已であり、舵の手腕は技術的であり必ずしも理論的・実践的ではなく生来の才覚に待つところ多大。形而上学で涵養された理性とはこのコンパスによる指針の役割をはたす総合的教養からの周辺状況理解能力なのだろう。