天才と馬鹿とは相対概念に過ぎず、絶対の天才も絶対の馬鹿も世界中にひとりも居られず。アインシュタインが動物と仲良くせよと忠告したのも同情からの慰めばかりに非ず。乃ちいかなる馬鹿にても動物に比べれば人間らしき知能を発見すべし、というよほど真実の言葉なるか。また、ガウダマ・シッダールタも善悪完全なものは永久にない、とのたまわりし。アリストテレスに至りては倫理実践においては中庸を旨とすべしと云いえたり。これ孔子なども古典よりしばしば引用するところなり。
知性・道徳性についてそうならば、やはり感性においても同然たらざるを得ず。絶対美や絶対醜のようなもの現実になし。
すべて世における聖俗とは相対してより崇高、より悲惨と分別しうるに過ぎず。この価値相対論の理屈、福沢『文明論ノ概略』の第一歩にあり。いわゆる知恵者らの虚学的な相対主義とは異なるなり。相対観に立ち、その上でより良き方向を目指そうとする文明の流れが人間には是非とも必要なりき。