社会構造の徐々の転換は唯、産業体制の変革に依存している。いま仮に、根本的には技術水準に因る、と考えてもいい。
我々個人が事件によって歴史を改造しうる、と考える事は不完全。この様な天命を生み出した構造こそ文明の知的水準。
個人と社会は縁起している。彼らの参画の仕方にのみ水準はある。故我々の命題は知的参画の方便に他ならない。地位はこうして考え出された理念だった。それは人類の種内順位制。
だが勿論、地位でさえ時代に依拠する。とすれば我々の社会とは産業体制への漸時な適応行動の集成に違いない。尤も、技術革新をもたらすのは社会内部での創造行為。よって我々は体制に対するゆとり幅を常に一定度以上に保持する。我々が自由と名づけてきたのはこの工夫権だった。創造とは自由行動の追求。