都会では思想の多律により、生活から文化的伝統儀式が消滅するのを観るだろう。功利は寧ろそうした万全日常化の結果を呼ぶ。現行中世人類は世界の均質化を嘆くが、世界中の都心が同じ条件へ向かい等値並列することは人類史上でのある達成を意味する。地球遊民の登場は地球文明の段階を象徴する。彼らは文化から自律しており、国籍ではなく資本運動が、彼らのidentityの規律となる。都会人とは、必ずしも良い意味ではないが、彼らの通称であるだろう。
彼らには語族でさえ有効ではないだろう。そして実効性のために、方言を単に捨ててしまうだろう。文学は普遍言語の流通へ反抗するのではなく、むしろ翻訳によって協賛する。文化的な微妙な差異表現は、翻訳の巧みを養成する材料にすぎない。