2006年12月25日

現代文学論

Nationalismを自主解体する事が現代政治の主要な目標なのは明白。国家の健全な国際的発展、乃ち漸進的連邦化への潮流は、国際競争における基本的対策。それは人民を尚一層雑種にし、独立自由の世界市民の発生を促す。紛れようもなく彼らの文民的結託だけが国際連合へ軍事権力を委譲させる原動力となる。人々は国家が仮の宿りである事を自覚せねばならないだろう。事実、国際経済の必然的展開は人間から国籍やnationalityを遊離する。なぜなら福利に反する体制は資本の自己運動に不能。いわゆる文学は、この新たな型の民情を養成する為に最も役立つだろう。世界文学は地球人類の統一された文明へ向かう準備の為に専ら、用意されなければならないだろう。
 独立した民族国家の形態は工業生産段階の過途的現象にすぎない。彼らの国力こそはより普遍的な文明結合、つまり国際連邦を産出する為の便宜。例えば民族間の好敵心は産業形態をより高度化せしめんとする競争により、功利の推究になおも適う。
 だが人々は富強先進国に俄然太刀打ちし得ぬ事を悟る時、自ずから民族思想を脱出する。そして産業に関する互恵制を目的として連邦を形成する。これらの結果、現代世界史は連邦同士の関係にまで発展しなければならない。やがて彼らは軍事力が邪魔になるだろう。なぜなら国益を乱すものこそ過剰な軍事浪費と気づくなら。極めて多くの場合、自由主義的統一世界において国際侵略じみた戦闘行為は国益に反する。それは技術水準への反建設的営為であるのが明らかだから。今日極めて限定的にしか販売不可能な武器に対して、利器は常に国際購買力を喚起する。
 以上の筋道を辿り、かの覇権国を含む最終的全連邦は軍事力を法的に共有化しなければならなくなる。現代世界文学がもたらすのはそのような世界像への展開を人民へ情動的に伝え知らせる事。