鈴木雄介ブログ
2006年6月7日
上達
カントは哲学を科学から切り離し得た目立っての上達ではあった。後世の学者はすべてその恩浴に値する幸運に甘んじてきた。哲学が単なる似非科学から独立し得る理由には以上の経過があるのだから、現代人にとって、言の葉を手段として操って真理を探るには善の概念が槍玉に挙げられなければ済まない。
蓋し、言の葉の問題に終始するのは下達に過ぎない。審らかに比喩を借用すれば哲学者は社会建築家としての役割を意図する。文明の善を具体的実現に結ぶのは唯、倫だから。
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