鈴木雄介ブログ
2006年3月6日
適応的思念
あらゆる宗教的信仰は、適応的思念を生み出す為の習慣づけだろう。しかし、真に普遍的な信仰は科学理論への方法的懐疑の中にのみ見いだしうる。なぜならそれは疑い得ない事実の証明体系への絶え間ない自主確認作業であり、現代までの人類に可能な限り最も普遍的にして地球環境適応的な活動。我々はその反省的創造力を哲学と名づけている。つまり最高の道徳者にとって普通に信じるに足るものは哲学だけ。
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